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【FF15RE】旅行ゲームとしての奇跡的な価値

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ストーリーは一切進めずにCHAPTER3で、クエストとかを延々遊んでいるぼんぜです。本作はストーリーを構わずにオープンワールドで楽しむ方が面白く感じます。以前、私が無印版をプレイした時に熱中したのも、まさにこの「オープンワールドを無目的に探索しているとき」だと思います。これはなぜかと問われれば、FF15は「FFブランドの中で奇跡的に生み出された旅行ゲーム」だからだと私は考えます。今回はそのことについて書いてみます。

旅行ゲームとしての奇跡的な価値

旅行雑誌「るるぶ」は旅行の内容である「見る(観光)」「食べる」「遊ぶ」の語尾から名付けられたことは有名ですが、本作はこの三つの要素が確かに存在しております。しかもゲームとしてはかつてないほどに高品質に。

この「見る」「食べる」「遊ぶ」について、「遊ぶ」は「ゲーム」であること自体で自然と内包できる要素ですが、「見る」「食べる」について高品質で実現することは非常に困難であると言えるでしょう。特に「食べる」については「どのように表現するか」という問題まで解決しなくてはなりません。

これをFF15は「圧倒的なクオリティのグラフィックで納得させる」という手法をとりました。この点において「奇跡的な価値」があると感じます。なぜなら第一に単純に制作コストが非常にかかるから。第二にもし「FF」ではなく、「旅行ゲーム」として企画が立案された場合、そのような企画が通らず資金などを集めることができないと思われるから。

この二つの事由からこれほどまでに高品質な旅行ゲームを作成するには、「FFというブランドの新作として10年以上の紆余曲折を経て着地したところが旅行だった」という奇跡が起きない限り実現しないでしょう。

よってFF15を「オープンワールドRPG」ではなく「あり得ないほど高品質な旅行ゲーム」として触れてみると、本作が新鮮な面白みにあふれていることに気づきます。特に達成感などを伴わず「風景を見るのが楽しい」というのは、現実の旅行に肉薄したコンテンツ力を感じます。

 

ただしRPGとしての束縛からは脱却できなかった

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FF15は旅行ゲームだ」ということで終わることができれば、めでたしめでたしで終了だったのですが、残念ながらそうはいかなかったように思います。なぜならFF15はどうもがいても「FF」シリーズの正式ナンバリング作品であり、そうである以上、「RPGであること」からは脱却できないでしょう。FFシリーズは毎作品ごとにいろんなチャレンジを行なっており、FF15は特に様々な脱却を行なっていますが、さすがに「RPG」からは脱却することができなかったように思います。となるとピンポイントな楽しみを散らばらせる「旅行」ではなく、線としての流れが重要になってくる「旅」にならざるを得ません。

「旅」である以上「どこから来て、どこに行くのか」という「出発」と「目的地」その過程の方向性が問題になって来ますが、それを支えるストーリーについては前回の投稿で記載したように、すでに序盤から崩壊しており旅として成立させるのは困難に思います。

というところでFF15は「旅行ゲームとしては非常に面白いが、出自として要求される旅ゲームにはなれなかった」というような仮説が成り立つのではないでしょうか。そうなるなら、「なぜ旅ゲームになれなかったのか?」を考えることが本作を理解する上で重要なカギとなるような気がしてきましたよ。

 

まぁとにかく「クアール」が強すぎてハゲそうだというところで、本日はこの辺で。

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