塩だけでイケます。

ゲームに関して個人的に思った「ここだけの話」を書きなぐっていくブログ

女性専用車両について思うこと

news.nifty.com

この記事、すっごいもにょるんですよね。たしかに書いてあること自体は正当なんですが、論理展開が男性優位な気がするのです。(ちなみに私は男性です)

個人的に「女性専用車両」については賛成です。「男性からの犯罪防止対策」のためと公然にいうことも問題ないように感じます。これを「統計的差別の論理」などを持ち出して批判することが正しいことなのかという点に疑問を感じます。

この点は「日本の男性」という集合体における連帯性の中で「女性からの信用を失墜している」という背景を無視し、局所的な論理性だけで原理・原則を考えるべきではないように感じております。つまりは「まったくの別問題」ではないでしょうか。(この点において諸外国との対応の違いも、「日本と外国」という背景の違いとして考えるべきではないかなと)

そもそもとして「女性専用車両に男性が乗り込む」行為は、そのようなサービスがあることを乗車券を購入している時点で同意しているように思われるので、公然的に行うことについて許容されるべき行動ではないでしょう。通常料金しか払っていないのに、スウィートに泊めろと言っているようなものだと感じます。もしそれがおかしいと思うなら、料金など払わずに他のサービスを利用するか、もしくは運営会社に正当な抗議をいれるべきでしょう。

まとめると「統計的差別の論理」だからといって、今までの背景を無視し「女性専用車両」を批判することに違和感を覚えるということ。差別を解消するために(特に優位だった側が)「過去の不平等」は追求せずに「現時点での平等」ばかり追求する傾向がありますが、それが本当に正義の原理・原則にもとる考え方なのか? という点をよくよく考えないと真の平等にはなり得ないのではないかと思う、今日この頃でございます。

FF15ロイヤルエディション オルティシエまでやってきた

f:id:bokutotu:20180321222734j:plain

FF15続けております。本日ようやくオルティシエに到着。チャプター8で律儀にクエストをこなしていったら、すでにプレイ時間は50時間を突破。無印んときのクリア時間を超えております。

ようやくレガリア Type-Dをゲット

f:id:bokutotu:20180321224117j:plain

念願のオフロードレガリアをようやくゲット。ロイヤルエディションをニューゲームで開始した場合、オフロードレガリアはチャプター8くらいまで進めなくては入手できないっぽいですね。(サブクエスト「勇猛のレガリア」をクリアしなくちゃ、オフロードレガリア解放クエストを受注できない?)

このオフロードレガリアは無印発売当初には存在しなかった要素で、私自身も初体験でしたが、なかなか興味深い仕様変更だと感じました。この「オフロードレガリア」に象徴されるように追加された要素は現状のところ「調整不足」な印象が目立ちます。ただし。それでもなお大きな仕様変更として「今まで車道しか走れなかった車を車道以外でも走らせる」というダイナミックな仕様変更と、高精度のグラフィックで押し通しているプロジェクトの力強さは本作の大きな魅力であり、FF15を理解する鍵になるような気がしております。

 

ファストトラベルの弊害

チャプター8にもなると、ほとんどのパーキングには停車したことがある状態となり、移動は基本的に「ファストトラベル」に頼ることになります。FF15のクエストの基本フォーマットは「受注場所から離れた場所にある指定場所で特定の行動を行う」という、いわゆる「おつかい」クエストがほとんどです。

まで序盤であれば、「離れた場所=未開の地」なので、移動すること自体に「旅行」的な楽しみがあります。オープンワールドのフィールドを探索するという楽しみですね。しかし中盤以降、「ファストトラベル頼り」になると、これが一変し、オープンワールドが探索対象ではなく、「距離による障害」にしかなっていないように感じます。

この点においてFF15は「後半に進行するにつれ、面白みが薄くなっていく」という構造的な欠陥を有しているように感じます。ここもFF15が「オープンワールドを消化できなかった」と思われる部分です。個人的にプレイ満足度のピークは「チャプター3」で、それ以降は壮大な「惰性」で進行していくという非常に稀有な構成になっているように感じます。

 

というところでチャプター8までの感想をちょこちょこと。プレイ時間は50時間を超えているものの、移動とロード時間が多く、あまり実感は得難いです。エンディングまで到達したらまとめたレビューを書こうかなぁと思っていますが、だいぶ「FF15とはどんなゲームか?」が自分なりに咀嚼できはじめたように感じます。というとこで本日はこの辺で。

 

www.jp.square-enix.com

MMORPGの未来について考えてみる

f:id:bokutotu:20180315234632j:plain

RPG大好きです。MMORPGももちろん大好き。MMORPGブームがだいたい一巡して久しく、昨今ではスマホやVRなどの新たなプラットフォームでの展開が盛んでございます。ただ個人的には「新たなプラットフォームでの展開」に関してはあまりわくわくしておりません。

もちろんそれぞれのプラットフォームごとの新たな楽しみ方というのはあると思いますし、その部分に期待する気持ちもありますが、現状の「スマホ」や「VR」などはどうしても一定の制限があり、現状のMMORPGを包括した上でさらに倍ドン的な表現には到達できないのではないかという予感がしております。(それぞれに特化したトンガリ坊やになる気がするということでございます)

現状のMMORPGのその先は? 進化したMMORPGとはどのようなものだろうか? そういうのが個人的にはすごくわくわくするので、そこを夢見た結果を書いてみたいと思います。

MMORPG わくわくする未来

どのような方向性がわくわくするかというと、例えばMMORPG風の世界観で描かれるアニメーション作品でよくある「そのスキルを持っているのは自分だけ」とか、「まだ誰も探索したことないダンジョン」とかはわくわくします。ざっくり単語にしてしまうと「プレイの唯一性」でしょうか。私はここにMMORPGのわくわくする未来があるような気がしております。

現行のMMORPG(を悪く言うつもりはありませんが)は、ゲーム側が用意されているコンテンツは、基本的に「全ユーザー対象」であり、すべてのコンテンツを制覇することが現実的なレベルで実装されています。(とはいえ1000単位の時間がかかると思いますが)よって最終的な終着点はどのユーザーもほぼ同一となり、あまりプレイ経験の差は生まれにくいように感じます。どのクエストもほとんどのユーザーがプレイしており、最強の武具はだれもが持ってて、全員最強の魔法が唱えられるとかそういう感じです。

もちろん「人と遊ぶ」ことがMMORPGの一つの本懐ではありますので、プレイ経験の差異はそこである程度カバーされる部分ではあるものの、それは偶発性を大きく孕んでおり、またゲーム側で保証される部分ではないために、現状では付随的な価値としてしか認定は難しいように感じます。

ただここを「ゲーム側として保証する構造」が実現できれば未来的ではないでしょうか? 

ではどうすればよいかを考えると、ど直球では「圧倒的なバリエーションでコンテンツを作成する」ということです。「誰も潜ったことがないダンジョンがごろごろしている」とかそんな感じです。ただしこれを実現するには膨大な供給リソースが必要であり、ゲーム運営側だけでそれを負担することは非常に困難でしょう。

供給リソースの問題をテクノロジーで解決しようとした場合、いの一番に思いつくのが「AIによる自動生成」でしょう。しかし個人的に「AIの生成物」はまだあんましわくわくしないし、よくわからんのここでは却下。(むしろそういうAIをつくるというほうがわくわくします)

じゃぁどうするか?

と考えて、思いついたのが「供給リソースをユーザーの遊びとして昇華し代替する」という方法です。クエストやダンジョンを「つくる」ことを遊びにしてしまえばいいんではないかというアイデア

すでにマイクラやマリオメーカーなどUGC生成を遊びとしているソフトはたくさん存在しております。よってコンテンツ作成過程をを「遊び」として、ユーザーに受け入れてもらう障壁は低くなっているように感じております。

よくあるファンタジーな世界観のMMORPGで例えるなら、

  • 冒険者とは別に「神」というクラスを設定する
  • 「神」は世界を冒険することを遊びの目的とするのではなく、世界を構築すること、つまりはクエスト・ダンジョンなどのコンテンツを作成することを遊びの目的とする。
  • 作成したコンテンツは冒険者から「いいね」などの評価を得ることができる
  • 作成したコンテンツの評価数に応じて「神」のレベルが上がり、コンテンツ作成の幅が広がる

みたいな感じですかね。

こうすれば、世界にはプレイし尽くせないコンテンツであふれかえり、プレイ差異はその構造上で保証されるというMMORPGが生まれるのではないでしょうか? これは個人的にすごくわくわくします。

残りの課題は

あとはコミュニケーションの取り方をもう少しなんとかできないかなぁと思ったりするのです。

理想は山でハイキングしているときにすれ違った人と自然に挨拶する感じ。あの構造を分析し、ゲーム上で再現することができれば「人との繋がり」もさらに一歩先へと進めることができそうな予感がするのですが、そろそろ眠くなってきたのと、けっこういいアイデアだと思ってましたが、字に起こしてみると「もうすでにこんなゲームありそうだなぁ」という気もしてきたので、本日はこの辺で。

eスポーツ プロ制度 について思うこと

f:id:bokutotu:20180311221721j:plain

なんやかや騒がしい方面であるが、eスポーツにおけるプロ制度についてぼんやりと考えた。妄想とかその類に分類されるものではあるが、思考整理のために書いてみようと思う。

某eスポーツ団体でのプロ制度について

特に騒がしいのは某eスポーツ団体のプロ制度であろう。いろんな誤解や曲解が錯綜しているように感じられるが、いろんな記事などを見聞きしている限り某団体におけるプロ制度は「某団体に協賛するIPホルダーがコンプライアンス的に問題なく、高額賞金制eスポーツ大会を実施するための数多くある法回避スキームの一つ」でしかないように個人的には思われる。要は「自分とこでやる分にはこうやる」という話だ。別にそれだけであれば「お好きにどうぞ」という話だと思うが、意図のあるなしは知らないが非常に多くの誤解や曲解をはらんで入るように感じる。それはなぜか。個人的に以下の二つが大きいように感じられる。

  1. 非常に限定した制度に対して普遍的かつ含意性が高い「プロ」という名称を使用してしまった。
  2. 本来的に全然別の話であるJOCや国際大会の話も合わせて行ってしまった。

「1」に関しては、日本語の問題。諸外国でどうかはわからないが日本における「プロ」という名称は、多種多用な使用例がある意義的に広範な用語であろう。某団体と同様に「ある特定団体より認可を受けたもの」という意味もあれば、認定制度の有無に限らず「生業に足る技量を持っているもの」(用例:ようやく”プロ”らしくなってきたなぁ。そのテク、プロってるね。)または「各業種における行動規範の遵守性の表明」(用例:”プロ”ならそんなことはしない)みたいな感じでも使われるかもしれませんね。非常にざっくり言ってしまうと「その業種を生業として対価を得る かつ 対価を得るにふさわしい人」という意味になるかなぁと。某団体における制度は、「プロ」という名称から受ける「広範性」を保持することができない、非常に限定的な制度であるように思います。その限定さから考えれば、本来的にふさわしい名称は「某団体認定プレイヤー」という感じでしょう。まずこの「名称のミスマッチ」が問題として挙げられると思います。

「2」に関しては、この団体の目標とすべき話であり、本来であれば「お好きにどうぞ」という範疇を出ないのですが、「1」の「名称のミスマッチ」を受けて、曲解方面に促すにはあまりある推進剤だったように感じます。

この「1」「2」あわせて、団体設立時の個人的な印象としては「某団体のプロにならなきゃ、賞金も国際大会も出られないのではないか?」と感じました。おそらくはこのような印象が強く、誤解や曲解につながっているように感じております。

その後、さまざまな記事を読んだところ、「そうではない」ということがぼんやりとながら分かってきましたが、すでに「なんだかよくないような気がする」というイメージ先行が強く、その払拭はこの「イメージ」と「プリファレンス」だけで構成されているような現代において、なかなか難しそうだなぁと感じる次第でございます。

そもそもとして、どちらにしても「説明不足」は確たる事実としてありますが、これに関しては「ジャカルタに向けて設立を急いだため」というような発言もあったかと記憶しています。もしかしたらここが根本かもしれませんが、「プリファレンス」などを犠牲にしてでも、「ジャカルタ」を優先すべきという判断自体に道徳的な理由は存在するのか? というところが気になったりもしたり。ここの理由がおそらく某団体の根本理念に通ずる部分であり、ここがぼんやりしているから、全体的に「ぼんやり」としてしまったり、「わくわく」しないものになっているように感じられます。

ざっくりと書いてみると個人的にはこんな感じ。要は「日本語の使い方には注意しよう」というお話だと見ています。

 

本日のFF15

f:id:bokutotu:20180314225443j:plain

急速にCHAPTERをすすめております。本作はCHAPTERを進めようとすればどんどんぐいぐい進めることが可能です。ただリニア式のストーリーテリングオープンワールドの食い合わせの悪さでいうと、「ストーリーを進めても新たに解放される要素」についてどうするかという判断が難しいところでしょうか。従来的なオープンワールドではないリニア式のRPGでは、ストーリーの解放に伴い新規解放要素を置いておくことでプレイのモチベーションを確保するという手法が取られているように思われます。ただ「オープンワールド」タイプの場合は、「最初からいろいろできること」が、まぁ「オープンワールド」的に良いのであり、このあたりが「リニア式のストーリーテリング」とジレンマが起きるところですね。FF15の場合、CHAPTER3到達でけっこうなところを進行することができます。これは「オープンワールド」的にはよいですし、事実いまんところCHAPTER3で解放された箇所を遊んでいた時が一番楽しかったのですが、その後「ストーリーを進める」段になると、新たに解放される要素が少なく、退屈さは否めない構造になっているように感じます。このあたりも以前お伝えした「オープンワールドにおけるストーリーテリングについて解決できなかった」ことを裏付ける事実かもしれません。では本日はこの辺で。

www.jp.square-enix.com

eスポーツについて思うこと

f:id:bokutotu:20180311221721j:plain

最近、話題のeスポーツについてぼんやりと考えてみた結果をまとめてみました。

興行性を支えるものはなんだろう?

eスポーツ足り得るのはどのようなゲームかという議論が盛んに行われております。どのゲームがeスポーツ足り得るのか? またはそもそもとしてeスポーツとは? という命題は今後継続的に行われるeスポーツ活動において醸成されるのではないかと思いますが、現時点でも「興行性」についてはeスポーツを考える上で無視できない要素のように思います。

つまりは「それを見せることでお金を得ることができる」もしくは「お金を払っても見たいと思う」ということでしょう。

では「興行性」を発生させるものは何かという問いについて個人的にいろいろ考えを巡らした結果、数ある興行を抽象化すると「超越性」が残るのではないかなぁと思うのです。例えばプロ野球なら「すごい速い球を投げれる」とか。

仮に「興行性」を支えるのが「超越性」だとした場合、「超越性を解説すること」が結構興行のキモになるのではないでしょうか? 「その興行で行われる行為がなぜ超越的なのか?」を明示しないと興行性は向上しないのではないかと。

フィジカルスポーツの場合、その行為は比較的明示的であるというふうに感じられます。それらの行為は良くも悪くも人間が日常的に認識している物理世界に「運動」という形で表出しやすいので。(もちろん「駆け引き」などの要素が介入しないとはおもっておりません)

しかしeスポーツをはじめとするマインドスポーツのプレイイング、この超越性は一般の人が日常的に認識する物理世界から切り離されたゲーム独自のルールで構成される世界上で表出することになり、この点が大きな興行とする際に障害になるような気がしています。

その点で言えば、将棋の大盤解説はかなり発明的であると思います。大盤解説があることにより、プロ棋士が指す一手一手がどのように超越的なのかが、あまり将棋を熟達していない人間でもわかりやすく解説されているように感じ入るのです。大盤解説がないと、プロの将棋の指し手がどのような意味を持っているかなんて、かなり熟達しないとわかりませんもんね。

eスポーツの場合はプレイするゲームが多岐にわたるので、解説の需要はかなりあると思います。すごく極端な例で言えば「ストリートファイターV」でリュウザンギエフが対戦しているときに、リュウ波動拳をうってザンギエフを追い込んで入るという展開があった場合、「なんであのヒゲの大男はレーザー撃たねぇんだ?」と思って入る観客にその展開の意味を教えるのは結構高い技量が必要だと思います。ただ「ザンギエフ波動拳を撃てないんです」というような解説では、観客に「ということはヒゲの大男は弱いんだなぁ」とか、「なんでそんな理不尽なんだ」と思われてしまい、超越性を伝えることはできないでしょう。

というところで今後eスポーツが発展することにより「eスポーツ実況」だったり「eスポーツ解説」だったりのキャリアが重要視され、また望まれる時代がくるのではないかなぁとぼんやり想像しておりました。そうなったらいろんな人がeスポーツに交じれそうなので、ちょっとワクワクしますね。今だと「プレイヤー」と「お金を持っている人」だけの話のような気がしているので、いろんな人が混じれるようになったらいいなぁと思う次第でございます。

 

本日のFF15

f:id:bokutotu:20180311225730j:plain

f:id:bokutotu:20180311225946j:plain

レスタルムについてイリスたんと軽いちゃいちゃしたあとに、レスタルム関連のサブクエストをクリアしていたら、一日が終了してました。

なんというポルナレフ状態。あとFF15のサブクエストは基本「お使い」のフォーマットを多用しており、広大なマップは移動に時間がかかる(ファストトラベルしてもロード時間が長い)ので、「クエスト受注→移動→クエスト達成→移動→クエスト報告」のルーチンワークを繰り返すことを強いられているんだ! 移動時間は基本的にオートかファストトラベルのキンクリ状態になるのでプレイ経過時間に対するゲーム上のリターンが乏しいという構造的な問題を改めて認識しました…。

それでも私はFF15つづけるよ。ということで本日はこの辺で。

 

www.jp.square-enix.com

大乱闘スマッシュブラザーズのトレーラーがかっこよすぎる件


 

先日のニンテンドーダイレクトで「大乱闘スマッシュブラザーズニンテンドースイッチ版が発表されましたね。このトレーラーかっこよすぎでしょう。

世界を熱狂させた1分14秒間の映像

最初は「スプラトゥーン」の映像から始まります。ダイレクトでは直前まで「スプラトゥーン2」関連の発表があったので「またスプラトゥーン?」と思わせといてから、舞台がいきなり暗闇に包まれます。視聴者の心情を代弁するかのように戸惑いながら振り抜いたガールが驚きの表情に変わり、その瞳に映っているのは…。

この流れがしびれますね。最初に「スプラトゥーン」関連と思わせるミスリード。その後、少々尺をとってスプラトゥーンの映像を流すことで視聴者に「なにかおかしい」と思わせて期待を煽ります。いまさらこんなに普通のスプラトゥーンの映像を流すわけがないと。そこに「舞台を暗闇にする」というスプラトゥーンに似つかわしくない変調を行うことで「スプラトゥーンではない」ことを明示し、さらなる期待を煽ってからガールの驚愕の表情と瞳の中のロゴで期待を爆発させる。めちゃくちゃ鳥肌が立ちました。

このトレーラーは個人的にマイケル・ジャクソンさんが行ったデンジャラス・ワールド・ツアーの登場シーンを彷彿とさせます。ステージに登場し微動だにしないマイケル・ジャクソンさん。それだけで観客は熱狂の渦の中にあり、何人もが失神するという伝説的なシーンです。それに通ずる「正の情動」を今回のトレーラーから感じ入りました。そしてそこにこそ「エンターテイメント」の純粋な存在価値があるのではないかを思う次第でございます。

ちなみに本日のFF15

f:id:bokutotu:20180311000824j:plain

本日も元気にレッツ CHAPTER3。

f:id:bokutotu:20180311001149j:plain

すっかりレベルも上がったので、そろそろイリスたんでも迎えに行こうかなぁとか考えております。では本日はこの辺で。

 

www.jp.square-enix.com

【FF15RE】「ダスカに潜む悪魔」について思うこと。

f:id:bokutotu:20180309225638j:plain

今日も今日とてCHAPTER3をプレイしています。CHAPTER3の中にいるうちは極上の体験。ここから進んで行くと「ストーリー」と対面しなくてはなりません。ゲームの本質は良くも悪くも「現実逃避」だと考えます。「現実」から逃避してきた中で、「ストーリー」からも逃避させようとは今作の格の違いを思い知らされるばかりでございます。つまりは働きたくないでござる! それはそれとして本日はCHAPTER3のお気に入りクエスト「ダスカに潜む悪魔」について書いていこうと思います。

 

FFのDNAが夢見たロマンを感じる「ダスカに潜む悪魔」

f:id:bokutotu:20180309230208j:plain

個人的にFF15のクエストの中で、かなり出来が良いクエストだと感じる「ダスカに潜む悪魔」。FF15のクエストは基本的に「特定の敵を倒す」「アイテムを探してくる」など一般的なRPGのサブクエストを踏襲しているものが多いのですが、「ダスカに潜む悪魔」はかなり凝った構造になっています。

サブクエストの目的自体は「スモークアイベヒーモス」というモンスターを倒すことなのですが、そのほかのサブクエストのように「指定された場所に行って倒す」だけではなく、このサブクエスト(ほぼ)専用ダンジョンを、シームレスで発生する演出により「スモークアイベヒーモス」の強大さや獰猛さをビンビンと感じながら、「スモークアイベヒーモス」戦専用のオブジェクトを利用して倒すという、このサブクエストだけかなりの力が入ったつくりとなっています。

一応このサブクエストは「チョコボの入手条件」となっており、特別っちゃ特別なのですが、その力の入れようはいくつかのメインクエストを凌駕するものを感じます。私はこのクエストに「FF15の開発当初に目指したものの残滓」を感じます。

上は2013年のE3で公開された本作のトレーラーです。ちょうど「ヴェルサス13」から「15」へとナンバリングが変更された時期に発表されたものですが、このトレーラーに当時のゲームプレイの一部が含まれています。

このトレイラーに含まれるゲームプレイでは、実際のFF15の「自由」で「平面的」な戦闘とは異なり、シームレスに発生する演出の過程で立体的に駆動する非常にナラティブな戦闘が繰り広げられております。私はこのトレーラーに含まれているゲームプレイとサブクエスト「ダスカに潜む悪魔」に「演出とインタラクションがシームレスに繋がるゲーム性」という点で類似性を感じるのです。

そしてその特性はFFの産みの親である坂口博信さんがWiiで発売した「ラストストーリー」というゲームで目指したものと一致するようにも感じます。

FFのDNAが希求した泡沫の夢。ここにたどり着けなかったのか、あえてそこから脱却したのかはわかりませんが、「ダスカに潜む悪魔」というサブクエストにはその夢の残滓が残っているように感じます。もしそんなバックストーリーがあれば、それは「浪漫(ファンタジー)」と言っても差し支えないでしょう。まぁ、全て私の想像でしかありませんが。

つまりは「ダスカに潜む悪魔」が好きですよ、ということです。本日はこの辺で。

(クアールは諦めました)

www.jp.square-enix.com